2007-01-29
2007-01-27
Anti Object~隈研吾講演
隈研吾のAnti Objectと題された講演会に出席。
主催は沖縄県建築士会。
1時間半は作品をスクリーンに映しながらコンセプトや裏話を交えて分かりやすく、面白く。で、30分は会場を交えながら質疑応答。
何処にでも可能なものではなく、其処にしか成り立たないもの。
中から外へ、外から中へ、建築から場所へ、場所から建築へ連続するもの。
地場の素材が建築の表皮だけでなく骨格も構成するもの。
Anti Object という言葉の中にはそうした意図が組み込まれているとのこと。
そして、より理解を深めたいのなら、下2冊を読むベシとのこと。
90年代に学生だった私を大いに感化した建築を“消す”という言葉からAnti Objectというかっこいい言葉へと変化を見せ、様々なアプローチを試しながらも、隈研吾のスタイルというものは基幹に感じさせる。
前進を続けながらも、その足跡にはスタイルの片鱗を残している。
その方法が正しいかはさて置き、その仕方は感心せざるを得ない。
質疑の中であった、“沖縄の現状への印象”というなかで、もっと緑をうまくしたほうが良いと一言。別に緑だけが解答だという意味ではないだろうが、敷地の中での建築とその周囲、そして周辺環境への連続性に可能性を秘めているとおぼろげながら感じる私に、改めて言葉を与えられたと思う。
講演を聴きながら様々なことに思考をめぐらし、軽い偏頭痛に見舞われた一日でした。
2007-01-24
“ハッダーの世界”
デンマーク映画(2003)
ホノボノしたものを見てみようかな、と思い借りてきたDVD。
ハッダーの前向きすぎる性格から湧き出す言葉と、友達との距離。
ノンビリとすすみながら感じさせられる、せつなさ・やさしさ。
ところどころの言葉の表現が豊かで、感心する。
癒し系映画。感覚的映画。
忘れがちな心持を与えてくれる、思い出させてくれる。
興味をもったならぜひどうぞ。
2007-01-16
私的ということ、公共的ということ。
メモ。
建築を設計していると良く利用する言葉がある。“プライベートな”・“パブリックな”という言葉。私と第三者による部分の対比のための言葉。
住宅であれば、家族の利用が主となる部分と家族以外の利用も考慮する部分。都市となれば私達の校区や自治区、私達のまちとそれ以外となる部分の対比。。
つまり、プライベートな世界・場・空間は拡がる。私、私の家族、私達・・。
私の部屋、私達の愛の巣、私達住民のまち・・。
仲の良い友人達とのおしゃべりや飲み会では、場の流れ・空気があって、流れの中で意図する以上のことを話してしまったり、場違いな話題は場の流れや空気を乱すと敬遠する。
私的というのは私という個別主観、私達という集合主観による世界観だろう。
ならば、パブリックな世界・場・空間は、拡がることで一人称単数としての私の主観が薄まり、“だれでも”赤の他人さえもという三人称的な世界観。個性を持たないということ。
私たちの家(プライベート)の周辺環境(パブリック)。
誰でも安心して住める(パブリック)私達のまち(プライベート)。
“プライベートな”・“パブリックな”世界は連続している。
私が私の外に出でて世界を私の世界とするように。
建築される“プライベートな”・“パブリックな”部分は建築されるモノによって伸縮する。手法も変わる。
この2つの言葉の間となる部分の仕方が肝要となる。
・・・・・再考・熟考・・・悶々。
2007-01-01
新年です。
新年明けましたね。おめでとうございます。
昨年に相変わらず世話になった方、
昨年にはじめてお世話になった方。
今年もお世話になりますのでヨロシクです。
さてさて、今年はどんな年になるのでしょうね。
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