2006-06-30

記号と意味。

頭の整理のために。


 私は、他者と対話する。私は思考を表現し、伝達する。他者へ、私の思考は完全には伝達されないものの、そうしようと表現する。

 私の話す日本語には様々な語が含まれる。だが、そうした語と意味との関係は絶対的なものではない。言語は様々な歴史の経過と共に更新され続けるものであって、語によって表現されると考える意味は普遍ではない。

 意味は語(記号)に依存しない。或る文章の内、文末を不明瞭にすることでより明瞭な意味を伝える。また、分からない語があったとしても前後の関係性から、文章自体が表現する意味を推測する。身振り手振りや話し方によって、語の示す意味よりも正確に思考を伝達する。言語は、隣り合う、又は暗に隠された語の関係性、そして、言語によって表現しようとする身体性に強く依存する。

 或るまちなみの美しさは隣接する部分の集合による全体性によって現出する。部分そのものが美しいのではない。また、その部分を任意に羅列することで同様の美しさが得られるとは限らない。表現される意味は全体的なものであって、部分的なものではない。

 記号と記号の間にある隔たりにこそ意味がある。単一では意味を成さない記号の集合に美しさや醜さを示す絵画のように。良質な建築は、ディテールに依存するのではなく、空間性や社会性、経済性に依存する。

 様々な記号を組み合わせることで意味が作り上げられるわけではない。表現しようとする私の思考、他者の思考が重要となる。何かを表現し、創り出そうとする私の動機が重要となる。

 重要なのは部分ではなく全体、そして何を意味するかということに他ならない。

・・・・う~む、再考。

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